撮影所No.08
合名会社一立商店阪東妻三郎プロダクション太秦撮影所・東映京都撮影所
合名会社一立商店阪東妻三郎プロダクション太秦撮影所
設立年月 |
1926年05月 |
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場所 |
太秦蜂岡町 |
最寄駅 |
嵐電北野線撮影所前駅 |
所長 |
坂東妻三郎 |
主演俳優 |
坂東妻三郎 |
主要監督 |
志波西果・犬塚稔 |
備考 |
阪妻、東亜キネマから独立、独立プロ設立。1926年5月、阪妻借りていた松竹下加茂から太秦へ。1926年9月、ユニヴァーサル映画日本支社と提携。阪妻立花ユニヴァーサル聯合設立。1927年5月ユ社との契約解除。1930年6月阪妻プロ撤退。松竹太秦撮影所に。 |
松竹キネマ太秦撮影所
設立年月 |
1930年06月 |
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場所 |
太秦蜂岡町 |
最寄駅 |
嵐電北野線撮影所前駅 |
所長 |
白井信太郎 |
主演俳優 |
月形龍之介 |
主要監督 |
悪麗之助 |
備考 |
1930年6月阪妻撤退により、松竹が経営。9月末帝キネ長瀬撮影所全焼。10月帝キネ太秦撮影所に。 |
帝国キネマ太秦撮影所
設立年月 |
1930年10月 |
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場所 |
太秦蜂岡町 |
最寄駅 |
嵐電北野線撮影所前駅 |
所長 |
立花良介 |
主演俳優 |
市川百々之助・河津清三郎・雲井竜之介 |
主要監督 |
小石栄一・石田民三 |
備考 |
1930年10月1日帝キネ撮影開始。1930年12月火災。1931年8月、松竹資本で新興キネマに改組。 |
新興キネマ太秦撮影所
設立年月 |
1931年08月 |
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場所 |
太秦蜂岡町 |
最寄駅 |
嵐電北野線撮影所前 |
経営者 |
松竹常務堤友次郎 |
主な所長 |
白井信太郎・永田雅一 |
主演俳優 |
杉狂児・鈴木澄子・山田五十鈴・市川右太衛門・大友柳太朗 |
主要監督 |
鈴木重吉・木村荘十二・溝口健二・押本七之輔・森一生 |
備考 |
1931年8月松竹資本で誕生。1936年第一映画を解散した永田雅一、スタッフ連れ入所。所長就任。怪談物、狸物など大衆向け娯楽映画がヒット。1942年、戦時統合で大映に吸収合併。大映京都第二撮影所に。 |
大映京都第二撮影所
設立年月 |
1942年01月 |
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場所 |
太秦蜂岡町 |
最寄駅 |
嵐電北野線撮影所前 |
主な所長 |
藤井朝太 |
主演俳優 |
市川右太衛門・羅門光三郎・阿部九州男・大友柳太朗 |
主要監督 |
牛原虚彦・松田定次・西原孝 |
備考 |
1942年1月戦時統合にて大映発足。1943年閉鎖。1947年東横映画に賃借する。 |
東横映画京都撮影所
設立年月 |
1947年09月 |
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場所 |
太秦蜂岡町 |
最寄駅 |
嵐電北野線撮影所前 |
主な所長 |
マキノ満男 |
主演俳優 |
片岡千恵蔵・市川右太衛門・月形龍之介・阪東妻三郎・嵐寛寿郎 |
主要監督 |
松田定次・渡辺邦男・マキノ正博 |
備考 |
1947年9月稼働開始。1949年片岡千恵蔵、市川歌右衛門、大映離脱東横参加。1951年4月太泉映画、東京映画配給と合併、東映京都撮影所に。 |
東映京都撮影所
設立年月 |
1951年04月 |
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場所 |
太秦蜂岡町 |
最寄駅 |
嵐電北野線撮影所前 |
主な所長 |
坂上休次郎・山崎真一郎・岡田茂・高岩淡 |
主演俳優 |
片岡千恵蔵・市川右太衛門・月形龍之介・中村錦之助・大川橋蔵 |
主要監督 |
松田定次・渡辺邦男・マキノ正博・佐々木康・内田吐夢・伊藤大輔 |
備考 |
1951年4月東横映画、太泉映画、東京映画配給合併、東映京都撮影所に。1954年、二本立て興行始まり、東映娯楽版大ヒット。1956年オールスター映画始まる。年間配給収入国内1位。 |